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タリン(エストニア)歌と踊りの祭典閉幕

5年に一度の祭典、ユネスコの世界遺産にも指定されている
タリンの歌と踊りの祭典が、昨日2009年7月5日閉幕しました。

歌の原にて

歌の原にて

歌っている人々

歌っている人々

エストニアの人々のパワーと団結力を感じました。
私も、初めてこの祭典に参加してみましたが、本当のローカルのお祭り。
世界遺産には指定されていますが、本当に心の奥底から音楽を楽しみ、自分たちの自由を喜んでいる人々の姿が印象的でした。

タリン→ヘルシンキへのヴァイキングラインの船内より

エストニア 歌と踊りの祭典

今年は、タリン街外れの「歌の原」で、5年に一度の「歌と踊りの祭典」がおこなわれるメモリアルイヤー。
民族衣装に身をつつんだ3万人以上の歌い手がエストニア各地から集まり、観客数は10万人以上になるエストニアで最大のこの祭典、ユネスコの世界遺産(無形遺産)にも指定されています。

第一回の「歌の祭典」がエストニア南部のタルトゥで行なわれたのは、ロシア統治下の1869年。
1940年以降のソ連時代はエストニア民族の歌は禁止され、レーニンやスターリンを賞賛する歌を歌うしかなかったそう。
1985年にソ連ではゴルバチョフが書記長に就任し、バルト三国でも独立の気運が高まった1988年、独立を目指すグループが呼びかけ、9月11日に約30万人が集まった「歌の祭典」が行なわれました。

エストニアの人々は歌で心をひとつにし、「のっぽのヘルマン(タリンのランドマークでトームペア城内にある50.2mの塔)にエストニア国旗を掲げよう!」と誓いあったそう。
ソ連の弾圧に暴力で抵抗するのではなく、独立への熱い思いを歌に託したエストニアの人々…。
この話を知ったときは、鳥肌がたつくらい感動しました。

歌による独立運動はラトビアやリトアニアにも波及し、「歌いながらの革命」と呼ばれるようになりました。
今年のエストニアの祭典は7月2日?5日。
また更に今年はリトアニア・ヴィリニュスでも4年に一度の祭典が。
エストニアとリトアニアの祭典が一度に見れる20年に一度のチャンスだそうです。

httpv://www.youtube.com/watch?v=08nf7hk4iBov

こちらは5年前、2004年のエストニアの祭典の様子。
「Mu Isamaa on Minu Arm(我が祖国、我が愛)」はエストニアの第二の国歌とも言うべき曲だそうです。