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バルトよりお客様


バルトより弊社のパートナーのラトビア人・スクレさんとリトアニア人オリィさんがご来社しました。
今後のバルト三国での面白いツアーについて話し合いました。
様々なアイデアが出され、今後にご期待を!この写真はお土産のお菓子です。
デザインからもほんわかしたバルト三国の暖かさが伝わってきますね。

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エストニア・ラトビア・リトアニアはバルト三国の一括りにされますが、実は言葉や文法はそれぞれ全く異なり、スクレさんとオリィさんは母国語同士が通じないためロシア語または英語で話します。
これまた不思議!

バルト三国に研修に出かけた時に、オリィさんはガイドをしてくれました。
オリィさんは実は日本からえらい人が来たときに通訳をするスゴイ人なのです。
現地では無理を言って超高級フレンチ・レストランでリトアニア風水餃子(庶民の食べ物)を出してもらったり、大変お世話になりました。(高級料亭でもんじゃを出してもらうような感覚でしょうか?失礼ですね?)
バルトの日々を思い出すだけでもああ!楽しい。
また街を歩いてカフェでお茶して、ハンディクラフトを買い占めたい。

フィンツアーのツアーはバルトを愛する現地スタッフのアイデアと愛によって支えられています。
アチュ(リトアニア語でありがとう)

バルト三国添乗日記? ?タリン編?

タリン、リーガ、ヴィリニュスの旧市街はどこも美しいですが、とりわけタリンはかわいらしいイメージがあります。
街も狭いですし、建物も小さいのでフレンドリーな雰囲気。
街歩きしていると上を見たり、足元を見たり、路地を見たり…いろんな発見があります!

窓辺

窓辺

手袋が必要なくらいの寒さでしたが、この窓辺には春を感じてほっとしました。
日本ではインテリアにこだわっている方は多そうですが、外観が「素敵だな?」と思うことは少ない気がします。
こんな風に窓辺を飾って、道行く人の目を楽しませてくれるとなごみます。

豚ちゃんプランター

豚ちゃんプランター

こちらは旧市街のレストランの窓辺。
ポーク料理が自慢のレストランなので、こんな飾りです。

お花

お花

こちらはギャラリーの入口に置いてあったフラワーアレンジ。
なんておしゃれで遊び心があるのかしら!
足取りにつられてギャラリーを覗きたくなっちゃいます!

お店の看板

お店の看板

お店の看板もかわいいものがたくさんあります。
こちらは画材屋さんの看板。
そのまんま!

ギャラリーの看板

ギャラリーの看板

こちらはギャラリーの看板です。
タリンの路地をあらわしているのかな??

竜?

竜?

壁から突き出るこれは一体?
ガイドさん曰く「雨どいです!」
…口から雨水が吐き出されるのでしょうか?
しかもこれ、旧市街の歴史的に重要な建物の雨どいなのです。
ぜひタリンで何の建物の雨どいなのか、見つけてみてくださいね!

フィンツアー デザイン・雑貨関連情報

エストニア 歌と踊りの祭典

今年は、タリン街外れの「歌の原」で、5年に一度の「歌と踊りの祭典」がおこなわれるメモリアルイヤー。
民族衣装に身をつつんだ3万人以上の歌い手がエストニア各地から集まり、観客数は10万人以上になるエストニアで最大のこの祭典、ユネスコの世界遺産(無形遺産)にも指定されています。

第一回の「歌の祭典」がエストニア南部のタルトゥで行なわれたのは、ロシア統治下の1869年。
1940年以降のソ連時代はエストニア民族の歌は禁止され、レーニンやスターリンを賞賛する歌を歌うしかなかったそう。
1985年にソ連ではゴルバチョフが書記長に就任し、バルト三国でも独立の気運が高まった1988年、独立を目指すグループが呼びかけ、9月11日に約30万人が集まった「歌の祭典」が行なわれました。

エストニアの人々は歌で心をひとつにし、「のっぽのヘルマン(タリンのランドマークでトームペア城内にある50.2mの塔)にエストニア国旗を掲げよう!」と誓いあったそう。
ソ連の弾圧に暴力で抵抗するのではなく、独立への熱い思いを歌に託したエストニアの人々…。
この話を知ったときは、鳥肌がたつくらい感動しました。

歌による独立運動はラトビアやリトアニアにも波及し、「歌いながらの革命」と呼ばれるようになりました。
今年のエストニアの祭典は7月2日?5日。
また更に今年はリトアニア・ヴィリニュスでも4年に一度の祭典が。
エストニアとリトアニアの祭典が一度に見れる20年に一度のチャンスだそうです。

httpv://www.youtube.com/watch?v=08nf7hk4iBov

こちらは5年前、2004年のエストニアの祭典の様子。
「Mu Isamaa on Minu Arm(我が祖国、我が愛)」はエストニアの第二の国歌とも言うべき曲だそうです。